あああ  h.n の Stay hungry.Stay foolish.: 原爆の日を前に  嵐の中の母子像

2011年8月1日月曜日

 
 
 

原爆の日を前に  嵐の中の母子像

今年も広島の原爆の日が近づいてまいりました。


戦争とは、平和とは、原爆とは、核とは。
私自身、今一度、平和記念公園を中心にゆかりのある慰霊碑、像、遺産を巡り、考え学び直したいと思います。



【嵐の中の母子像】

母親が、わが子を守ろうと、右腕で乳飲み子をしっかりと抱きかかえています。
左腕でもう一人の幼子をはぐれないように掴んでいるのでしょうか。それとも、背負おうとしているのでしょうか。
幼子も母親から離れまいと、ひしとしがみついています。


そして、母親は前かがみの姿勢です。
物理的には、原爆での爆風、嵐なのでしょうが、戦争が起こす悲惨さ残酷さに抗い、前に進もうとする必死さが伝わってきます。


個人的な拡大解釈をします。
この母子の像は原爆だけに当てはまるものでしょうか。
過去、日本が戦争で侵攻した場所でも、母子が同じような姿をしているのではないでしょうか?
今なお世界中で起こっている戦争、紛争下の母子も同じような姿をしているのではないでしょうか?
そう思いこの母子像を見上げると、胸が痛くなるのです。


製作者は本郷新さん。
1959(昭和34)年、第5回原水爆禁止世界大会開催の際、原水爆禁止日本協議会から寄贈されたそうです。当時は石膏像だったそうです。
その後、広島市婦人会連合会が募金活動を行い現在のブロンズ像を寄贈したそうです。



【広島平和記念資料館(原爆資料館)】

原爆の悲惨さを伝える資料館です。位置は「嵐の中の母子像」の真後ろになります。
「本館(重要文化財に指定されている)」と「東館」で構成されています。


「東館」では戦争の経緯を写真などで説明したパネルが展示されています。
基本的に歴史の確認のような内容なので、比較的ライトな感覚で見学できまが「本館」を見学するための予習と考えるべきです。
「原爆資料館」の価値は「本館」に凝縮されています。
「本館」の見学に意味があり、「東館」はおまけだと私は思っています。
※実際、当初は本館のみで最近(といっても20年以上前ですが)東館が追加されています。


「本館」には実際の惨状を物語る写真、ジオラマ、そして目をそむけたくなる現物が展示されています。
全身火傷をした人の写真、被爆死した学生の遺品である「黒こげの弁当箱」、原爆の熱線で階段に人の影が焼きついた「人影の石」などが展示されています。
また、高熱を浴び手足の皮膚が溶け垂れ下がった状態で荒廃した地を彷徨う等身大の人形も展示されています。


「東館」ができる以前の「原爆資料館」は異様な雰囲気に包まれていたように思います。
上記の人形の前では小さい子は恐怖で泣き叫び阿鼻叫喚の様相を呈していました。
私も、幼心に恐怖を感じたのを覚えています。


展示物の一部が下記サイトで紹介されています。
平和記念資料館(西館)



【被爆したアオギリ】

もともとは、爆心地から約1.5km離れた逓信局(現在の中国郵政局)に3本植えられていたそうです。
被爆時、原爆の爆風・熱風により、葉はもちろんのこと、幹も半分が焼かれ消失したそうです。


被爆当時は、広島には向こう75年間は草木が生えないだろうと言われていましたそうですが、翌年の春に、この枯れ木同然だった3本のアオギリから新芽が出たそうです。
原爆に屈せず生き続けるアオギリの姿は、絶望の中にいた人々に希望を与えたといいます。


1973年に現在の平和記念公園の敷地内に移植されましたが、1本は枯れてしまい現存するのは2本になっています。
下の写真では、3本のアオギリが植えられているのを確認できると思います。
左の2本が被爆したアオギリ。一番右のアオギリは「被爆アオギリ2世」です。
アオギリ2世は、現在「平和の使者」として全国に送られ大切に育てられているようです。


焼けた幹肌を包み込むように新しい幹が覆っているのが分かります。


「被爆したアオギリ」は、今なお、戦争の凄惨さ、生きることの尊さを伝え続けてくれています。



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